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仕事から帰ると、久し振りに甥っ子家族がうちに遊びに来ていた。 夏休み中はちょくちょく会ってたけれど、最近久しく会ってない気がしていて、だんだんと私にも“甥っ子禁断症状”が現れていた。ちっちゃい子だから、ちょっと会ってないだけで、もうずいぶん大きくなってるんではないだろうか…とか、実はもうしゃべってたりして…とか、いろいろ想像を巡らせていた。
久し振りに会った甥っ子は、私を見るや否や、「あちゃ!あいた!」とよくわからない言葉をしゃべりながら、満面の笑みで近寄ってきた。私がしゃがみこんで「健ちゃ〜ん!!」と手を伸ばすと、かけよってきて私の足元でペタンと座りこんで、スリスリしながら私から離れようとしなかった。 「な、な、なんてかわいいんだ…(@_@。」 本当に無邪気に笑いかけてくる甥っ子を見てると、自分の中に潜んでいる、社会人としての邪念が消えていくような錯覚に陥った。そして、こんなちっちゃい子にとっては、目の前にいるこのキレイなお姉さん(←私(^^ゞ)が、適齢期の女性としての大人の自覚のない欠陥人間なのだ、な〜んてわかりゃ〜しないんだろうなぁ〜と思って、安心して接していた。
マイコーもそうだったんだろうなぁ〜って思う。(でた。またマイケル…(^^ゞ) スターとしての彼は、普通に接してくれる大人の人間なんて数少ない親友くらいしかいなかったんだろうなぁ〜と。だから先入観のない無垢な視線で無邪気に接する子供が大好きで、一緒になって子供に返ることができたんだろうなぁ〜って。 結局、スターがゆえの周りの妬みや反感から、とんだ冤罪事件に巻き込まれていくわけだけど、(←マイケル・ジャクソン裁判必読!)彼にとって子供は宝物以上の存在だったんだろうと思う。
いつからだろう。 なんの先入観もなく、いろんな大人たちと接していた赤ちゃん時代の自分が成長し、いよいよ自我も芽生えはじめ、「親戚のおばちゃん苦手…」とか「おばあちゃん野菜いっぱい無理やり食べさせようとするから嫌い!」なんて言い始めたのは。お父さんとお母さんは、同じくらい好きでいなきゃいけないと、子供心に自身に言い聞かせながらも、いつの間にやら、母とは大親友のようになり、父に対しては一歩距離を置いた状態で接するようになったのは。学校の先生たちが皆正しくて、大人は間違ったことなどしないんだ!って、純粋に育ってきたのに、「考えてみれば・・・あの先生のあの行動、あの体罰おかしくね??」と気づき始めたのは。
いつの間にか成長して、いつの間にか知恵をつけて、いつの間にか大人の事情も知るようになって、いつの間にかすべての大人が正しいわけじゃないと気付いて、いつの間にか自分が大人になってる。 私の中には、この“いつの間にか”が多すぎる!!(-.-) 健ちゃんも・・・あの無邪気さ…。叔母とはいえ、私ののほほん気質を受け継いでるに違いない…とちょっと心配になったりする。
私の友達の中には、本当に大切な人を亡くした経験がある人がたくさんいる。親友や恋人、最愛のお母さん。そうして人の死に直面していくうちに、僕が、私が、彼、彼女の分までしっかり生きなくちゃいけないってその時思ったと、彼らは言う。その話を、重く受け止めた。 9・11事件から8年がたった。ワールドトレードセンターの悲劇を見て泣いた。 歌手・渡辺はま子がモンテンルパの死刑囚を助けた実話を見て、意味もなく死ななければならなかった人たち、残された家族の思いを味わった。生きたかったのに生ききれなかった人たちの存在を知った。常に死の恐怖におびえながら生きていた人たちの必至な毎日の生き方を知った。
マイコーが『Heal the World』で歌ってる。「人々が今まさに死んでいるのがわかる。君のために、僕のために、もっと素敵な場所にしようよ。」と。鬼束ちひろも『蛍』では、「すべてのときがは一瞬だと貴方は教えてくれた人」と歌ってる。 私にとって“貴方”はマイコーであり、マイコ―のおかげで、映画としては評価のたかくないテロ事件ドラマも、過去にあった悲惨な戦争ドラマも目をそらすことなく見ることができる。ちょっと泣いちゃうけど、真剣に考えられる。
人類的に見て、いつの時代に生まれたかは運命だと思う。無意味に死ぬ必要なんてない。私たちはせっかく現在という世の中に生まれたんだから、命を粗末にする必要もない。だから、生きている限りもっと一瞬一瞬をしっかり生きようと思う。 世界の中ではまだまだいろんな問題がある。(←最近そういうことも積極的に勉強済み♪)マイコーとかぶった時代に生まれてこれて良かったと思うと同時に、「すべての時が一瞬だと」大切な限りある時間なのだと・・・前よりもう少しだけ大事に思って過ごそうと思う。
ちょっと真面目な今宵のUFOより(*^^)
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